「今日、黄金色の太陽の光を浴びて散歩していたとき、(もう秋も終わろうという、暖かい静かな一日だったが)、ふとある考えが浮かび、私は歩みをとどめ、一瞬間ほとんど呆然としてつっ立ったままであった。私は呟いた。<自分の人生は終わった>と。考えてみれば、この単純な事実には、もっと前からはっきりそれと気がついているおるべきはずであった。このことが私の瞑想の一部をなし、しばしば私の気分に微妙な陰影をなげかけてきたことは否定できないことであった。しかし、口に出せるような言葉となって、決定的な明らかな形をとって現れたことはまだ一度もなかったのだ。自分の生涯は終わった。自分の耳にその真実性をたしかめさせようとして、私はこの文句を一、二度、声にだしていってみた。どうも妙な具合であるが、真実はあくまで真実なのだ。当時ライクロフトは五十三歳ということになっている。(ギッシングは四十なかば)当時としてもまだそう高齢ではあるまい。そして、なんとつまらない人生だったか、笑い出したくなるがかろうじて微笑するのみである。
◇
非常に詩的ではあるが、何故か心に響かない。この箇所は、筆者の山田稔さんが、久し振りにこのギッシングの『ヘンリー・ライクロフトの私記』を読み返して、「もっとも胸を打たれたくだり」であった。
作者の分身ともいえるライクロフトは晩年を静かな田舎で平穏な隠遁生活をおくった。しかし現実のギッシングは、『ヘンリー・ライクロフトの私記』の出版された1903年に肺疾患で死亡する。四十六歳であった。幻覚にうなされ、ラテン語でうわごとをいい、グレゴリオ聖歌を口ずさみながら息を引き取ったという。
なんという美しい死であることか。
世界からこのようなロマン派的な「美」が、「死」が、既に消え去って久しいという気持ちが、つまりあまりに無味乾燥な散文的な世界にしか生きることのできないわたしにとって、ヘンリー・ライクラフト=ギッシングの詠嘆はあまりに遠すぎるのだ。
先日母が、職を失い、住処を失い、夜、寒くてとても眠れないので夜中歩いているという若者の新聞記事を教えてくれた。
嘗て貧しさと美は、しばしば膚接していた。今は、貧しさはあたりまえのように蔓延り、一方で、「貧しさ」に付随していた「美」は消えかかっている。
ラテン語でうわごとをいい、グレゴリアン・チャントを口ずさみながら息絶えたから美しいのではない。
美と教養とはまるで無関係である。
現に黒澤の『赤ひげ』では小石川療養所での貧しき人たちの死が崇高に描かれている。
わたしには今の世界の美がまるで見えない。
◇
『ヘンリ・ライクラフトの私記』は、老いの先取りの文学である。世の中には、老いをおそれるのではなく、老いを先取りすることによろこびを覚えるものが、多くはないが、確かに存在するのだ。若くしてこの作品に魅力を感じたものは、生のたそがれのなかできっと思い出すだろう。そして先取りされていた老いと再会して、たまらなく懐かしい思いにひたるだろう。(略)自分の人生は終わった、と感じることはすこしさびしく、そしてなんとうれしことだろう。なにか元気のようなものまで湧いてくる。やっと自分というものがわかりはじめるからだろうか。(初出「VIKING」1988年11月)
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話は変わるが、わたしに最も必要なのは、「友人」、そして「ライバル」と呼ばれる存在だろう。
つまり文章に於いて、切磋琢磨することのできる人物である。
前にも書いたが、アートブログでは、「適わないなぁ!」というブログにいくつかめぐり合った。
わたしには嫉妬という感情はほとんどない。それは少しでも「彼に/彼女に近づきたい」という原動力となる。
ところが残念ながら、日本語で書かれたブログで、そのようなブログに出会ったのは過去3回のみ。
そのうちのひとつが『八本脚の蝶』である。けれども、書き手は一足先にこの世界から去っていってしまった。
わたしの記憶によれば、この山田稔さんの『生の傾き』(1990年)の初出の多くは[VIKING]であり、これは確か同人誌だったと思う。
同好の士がいるというのはいいものだ。
一方、ギッシングだが、山田さんによると、
「生まれつき自尊心が強く狷介な性分であった」ライクロフト=ギッシングには、人が感じてはいても口にすることをはばかる真実、人前で云ってはならぬ真実をあえて云う勇気、辛辣な精神があったようだ。それが彼をして田舎に隠棲せしめたのだった。彼は人々に嫌われ、彼もまた人を嫌った。そういう非社交性において、あるいはまた知性より心情に価値をおく点においても、ギッシングはルソーにいくぶん似ている。(略)この隠棲の願いを彼はおもいがけずこりがりこんだ年金のおかげで実行にうつした。周辺の人たちから「世間を知らない」とか「馬鹿だ」とか云われた。確かに自分は馬鹿だ、と彼は自分をかえりみる。「明らかになにかが始めから私には欠けていた。なんらかの程度に、たいていの人々にそなわっているある平衡感覚が私には欠けていたのだ。」(下線・太字poboh)
続けて山田氏はこういう、
「しかしおよそ文学とは、本質的にそのようなものではなかろうか。創作活動とはある意味ですべて、わが身を犠牲にしての、平衡感覚回復のこころみであろうから。」
創作活動とは一種のセラピーであろうか?崩れたバランスを立て直すための営みであろうか?
確かに、創作活動には、一種のCure/Careの一面がある、けれども、この場合、立て直すべき平衡感覚は、あくまで、ギッシングならギッシング固有の平衡感覚回復のこころみに他ならない。即ち崩れたものを、水平或いは垂直に正すのではなく、本来の彼独自の傾斜・勾配を復元させることである。
「平衡感覚回復」という言葉が、「大抵の人々に備わっていて自分にはかけている何か」を回復乃至獲得することを意味するとしたら、それは文学或いは芸術が現実原則に従うという、本末転倒のまったくおかしな話になってしまわないか。
ー追記ー
この「ヘンリ・ライクラフト」の冒頭と末尾に、とても素敵な文章が記されている。
不悉
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