Wednesday 27 January 2021

Silhouette



Rickmansworth, 26. března 1944 / Rickmansworth, March 26, Ladislav Sitenský (1919 - 2009) 
 
 
 
 
 


 

A Foggy Day



Fog Along San Francisco Embarcadero, Ferry Building in Distance, 1948, Fred Lyon
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Shirley Baker (1934 - 2014)



 Two boys by lamppost, 1962
 
 
 

 Two young boys peer down a drain, Manchester, 1963

 

Manchester 1962
 
 
 

The Pet Market Shude Hill, 1961
 
 
 
 
 
 
 
 

Making snowman ?



 Children Pushing a Snowball, Manchester, 1968, Shirley Baker (1934 - 2014) 








Where have the all flowers gone ?


American soldier, Red Bull Regiment, Italy, on Easter Sunday, 1945, Toni Frissell. 

 
 
 
 
 
 
 

Fresh Vegetabulls!


 The Vegetabull poster, by Jan Lewitt and George Him, 1941
- Color Lithograph - 
 
 
 
 
 
 
 


Tuesday 26 January 2021

The Thinker



Under The Stairs, 1920, Adolf Schneeberger (1897 - 1977)
 
 
 
 
 
 
 
 

Alberto Giacometti and his life



Giacometti's bust of his brother Diego, an early work, ca 1950



Giacometti's studio walls served as a surface for sketches, ca 1950
 
 

 
Annette Giacometti entertaining a friend in the studio, ca 1950



Giacometti's plastered pant leg, ca 1950
 
 
 
*
 
“Beauty has no other origin than the singular wound, different in every case, hidden or visible, which each man bears within himself, which he preserves, and into which he withdraws when he would quit the world for a temporary but authentic solitude.
Giacometti’s art seems to me determined to discover this secret wound in each being and even in each thing, in order for it to illuminate .” 

Jean Genet
 
 
 

 
 
 
 

Giacometti wokring in his Stampa studio, the last weeks of his life Taken by Ernst Scheidegger



 

 

 

Paris, Raining Day On Reaumur Street In, 1958, Émile Savitry (1903 - 1967)








 
 

Sunday 17 January 2021

山田稔氏の描く「ヘンリー・ライクロフト」

 
「今日、黄金色の太陽の光を浴びて散歩していたとき、(もう秋も終わろうという、暖かい静かな一日だったが)、ふとある考えが浮かび、私は歩みをとどめ、一瞬間ほとんど呆然としてつっ立ったままであった。私は呟いた。<自分の人生は終わった>と。考えてみれば、この単純な事実には、もっと前からはっきりそれと気がついているおるべきはずであった。このことが私の瞑想の一部をなし、しばしば私の気分に微妙な陰影をなげかけてきたことは否定できないことであった。しかし、口に出せるような言葉となって、決定的な明らかな形をとって現れたことはまだ一度もなかったのだ。自分の生涯は終わった。自分の耳にその真実性をたしかめさせようとして、私はこの文句を一、二度、声にだしていってみた。どうも妙な具合であるが、真実はあくまで真実なのだ。
 
当時ライクロフトは五十三歳ということになっている。(ギッシングは四十なかば)当時としてもまだそう高齢ではあるまい。そして、なんとつまらない人生だったか、笑い出したくなるがかろうじて微笑するのみである。


非常に詩的ではあるが、何故か心に響かない。この箇所は、筆者の山田稔さんが、久し振りにこのギッシングの『ヘンリー・ライクロフトの私記』を読み返して、「もっとも胸を打たれたくだり」であった。

作者の分身ともいえるライクロフトは晩年を静かな田舎で平穏な隠遁生活をおくった。
しかし現実のギッシングは、『ヘンリー・ライクロフトの私記』の出版された1903年に肺疾患で死亡する。四十六歳であった。
幻覚にうなされ、ラテン語でうわごとをいい、グレゴリオ聖歌を口ずさみながら息を引き取ったという。
 
 なんという美しい死であることか。

世界からこのようなロマン派的な「美」が、「死」が、既に消え去って久しいという気持ちが、つまりあまりに無味乾燥な散文的な世界にしか生きることのできないわたしにとって、ヘンリー・ライクラフト=ギッシングの詠嘆はあまりに遠すぎるのだ。

先日母が、職を失い、住処を失い、夜、寒くてとても眠れないので夜中歩いているという若者の新聞記事を教えてくれた。
 
嘗て貧しさと美は、しばしば膚接していた。今は、貧しさはあたりまえのように蔓延り、一方で、「貧しさ」に付随していた「美」は消えかかっている。 

ラテン語でうわごとをいい、グレゴリアン・チャントを口ずさみながら息絶えたから美しいのではない。
美と教養とはまるで無関係である。

現に黒澤の『赤ひげ』では小石川療養所での貧しき人たちの死が崇高に描かれている。

わたしには今の世界の美がまるで見えない。


『ヘンリ・ライクラフトの私記』は、老いの先取りの文学である。世の中には、老いをおそれるのではなく、老いを先取りすることによろこびを覚えるものが、多くはないが、確かに存在するのだ。若くしてこの作品に魅力を感じたものは、生のたそがれのなかできっと思い出すだろう。そして先取りされていた老いと再会して、たまらなく懐かしい思いにひたるだろう。
 (略)
自分の人生は終わった、と感じることはすこしさびしく、そしてなんとうれしことだろう。なにか元気のようなものまで湧いてくる。やっと自分というものがわかりはじめるからだろうか。
 
(初出「VIKING」1988年11月)

 



話は変わるが、わたしに最も必要なのは、「友人」、そして「ライバル」と呼ばれる存在だろう。
つまり文章に於いて、切磋琢磨することのできる人物である。 
前にも書いたが、アートブログでは、「適わないなぁ!」というブログにいくつかめぐり合った。
わたしには嫉妬という感情はほとんどない。それは少しでも「彼に/彼女に近づきたい」という原動力となる。
 
ところが残念ながら、日本語で書かれたブログで、そのようなブログに出会ったのは過去3回のみ。
そのうちのひとつが『八本脚の蝶』である。けれども、書き手は一足先にこの世界から去っていってしまった。
 
わたしの記憶によれば、この山田稔さんの『生の傾き』(1990年)の初出の多くは[VIKING]であり、これは確か同人誌だったと思う。
 
同好の士がいるというのはいいものだ。
 
一方、ギッシングだが、山田さんによると、
 
「生まれつき自尊心が強く狷介な性分であった」ライクロフト=ギッシングには、人が感じてはいても口にすることをはばかる真実、人前で云ってはならぬ真実をあえて云う勇気、辛辣な精神があったようだ。それが彼をして田舎に隠棲せしめたのだった。彼は人々に嫌われ、彼もまた人を嫌った。そういう非社交性において、あるいはまた知性より心情に価値をおく点においても、ギッシングはルソーにいくぶん似ている。
 (略)
この隠棲の願いを彼はおもいがけずこりがりこんだ年金のおかげで実行にうつした。周辺の人たちから「世間を知らない」とか「馬鹿だ」とか云われた。確かに自分は馬鹿だ、と彼は自分をかえりみる。「明らかになにかが始めから私には欠けていた。なんらかの程度に、たいていの人々にそなわっているある平衡感覚が私には欠けていたのだ。」
(下線・太字poboh)
 
続けて山田氏はこういう、
 
「しかしおよそ文学とは、本質的にそのようなものではなかろうか。創作活動とはある意味ですべて、わが身を犠牲にしての、平衡感覚回復のこころみであろうから。」
 
創作活動とは一種のセラピーであろうか?崩れたバランスを立て直すための営みであろうか?
確かに、創作活動には、一種のCure/Careの一面がある、けれども、この場合、立て直すべき平衡感覚は、あくまで、ギッシングならギッシング固有の平衡感覚回復のこころみに他ならない。即ち崩れたものを、水平或いは垂直に正すのではなく、本来の彼独自の傾斜・勾配を復元させることである。
「平衡感覚回復」という言葉が、「大抵の人々に備わっていて自分にはかけている何か」を回復乃至獲得することを意味するとしたら、それは文学或いは芸術が現実原則に従うという、本末転倒のまったくおかしな話になってしまわないか。
 
 
ー追記ー
 
この「ヘンリ・ライクラフト」の冒頭と末尾に、とても素敵な文章が記されている。
 
 
不悉
 
 
 
 
 
 
 

Saturday 16 January 2021

An Old Oak, 1920, Kondratenko Gavriil Pavlovich (1854 - 1924) - Oil on Board -



*

“Look: the trees exist; the houses
we dwell in stand there stalwartly.
Only we
pass by it all, like a rush of air.
And everything conspires to keep quiet
about us,
half out of shame perhaps, half out of
some secret hope.” 
 
― Rainer Maria Rilke - Duino Elegies
 
 
 
 
 

Leda with swan, (and somehow, five curious flogs) 1980, Kiki Kogelnik (1935 - 1997) - Serigraph in Colours on Wove paper -








 

On the road with covered wagons, ca 1939, Otto Rudolf Schatz (1900 - 1961) - Casein tempera and Japan lacquer on Panel -









 

" How To See Without Camera" - Dorothea Lange


Dorothea Lange in Texas, ca 1935, Paul Taylor (1895-1984)
 
*
 
"How to see without camera" 「カメラなしで世界を見る術(すべ)」と、ドロシア・ラングは言った。
それは多分、幼い子供と、老い衰えた老人たち、そして、精神や知能に重い障害を持った人たちがあたりまえにしていることだ。
 
美しい風景を前にカメラを取り出さずにいられる精神の高貴さ。
それを「高貴」といわずになんと言うのか?
 
夜、バスに乗っていると、横に座った人の手の中のスマートフォンの画面が明るく光る。
映される画像は鮮明である。けれどもそれは如何に美しい絵であり、写真であっても、結局は束の間「消費」されるだけの泡沫(うたかた)の情報に過ぎない。
 
ポール・オースターの原作を映画化した『スモーク』という映画で、ニューヨークの町の片隅のタバコ屋の主人であるハーヴェイ・カイテルは、何年も、何十年も、店の前の同じ場所で、同じ通りの写真を撮り続けている。客のひとり、ウィリアム・ハートがアルバムを見せてもらうが、パラパラと、さっさとめくってゆく。苦笑した主人は、「もっとゆっくり見なくちゃ」
 「だって、どれも同じだ」
「ゆっくり見れば、違いも、味わいも分かってくる」

これなどは、「カメラを通して世界を見る」ひとつの例だろう。

急速に普及した簡易カメラ、人類はまだそれを使いこなせるほど利口ではないようだ。




 
 
 

 

Friday 15 January 2021

Lapin-Agile [Ville-d'Avray] ca 1955, Ludwig Bemelmans - Oil on Canvas -









 

『田舎司祭の日記』

 
作家、野呂邦暢さんのエッセイに「田舎司祭の日記」という作品がある。
 
以下抜粋引用する。
 
昭和三十年代の初めごろ、田舎町にテレヴィはゆきわたっていなかった。ある日、新聞を開くとテレヴィ欄に「フランス映画祭」とかいう文字が並んでいた。ロベール・ブレッソンの「田舎司祭の日記」がその晩、放映されるという。どういうわけでこれを見に出かける気になったものかわからない。新潮文庫版「田舎司祭の日記」はまだ手に入れておらず、ベルナノスがフランスのカトリック作家であるという知識すら持ち合わせていなかった。
 (略)
結局私は本に飢え、映画に飢えていたのだと思う。行きつけの喫茶店が諫早駅の前にあり、そこにはテレヴィが置いてあった。「田舎司祭の日記」は期待にたがわぬというより、期待以上の傑作で、私は夜おそくわが家へ帰りながら、気持ちが昂揚するのを抑えることができなかった。
(『夕暮の緑の光』 野呂邦暢随筆選 (2010年)


わたしもこのところ、ブレッソンのこの映画がとても見たいと思っている。実際に新宿や渋谷のツタヤで何度か借りたことがある。野呂さんのように「傑作」という言葉は出てこないが、何故か周期的に無性に見たくなる。
今「田舎司祭の日記」のビデオが置いてあるのは渋谷のツタヤだけではないだろうか?
 
映画を観たしと思へども渋谷はあまりに遠し・・・
 
同じように、わたしにもまた、本に飢え、映画に飢え、音楽に飢えていた時期があったなんて、今の自分を顧みて、俄かには信じがたい。仮に今「田舎司祭の日記」を見ることができたとしても、それに感応する感受性がまだわたしの魂の中にあるだろうか。そもそも魂などというものがまだ残っているのだろうか・・・
 
日々の生活に疲弊しているわけではない。「生きていること」「存在していること」それ自体に疲れているのだ。
 
本来はそれを慰めるのが本であり、映画であり、音楽であるはずなのだが、今は本や映画に接することがひどく面倒であり億劫なのだ。
 
それにしても、映画館ではなく喫茶店に据え付けられているテレヴィでブレッソンの作品を見るなんて、なんとも粋なこと。いずれは白黒テレビであったのだろうが、「田舎司祭の日記」はそもそも上質なモノクロ映画である。
 
14Kの大型テレビなんて無粋なものでなく、ブレッソンは、喫茶店のブラウン管テレビで見るべきものである。
 
ああ、もう一度、寒い冬の日、一人だけの小屋で息絶えてゆく若き司祭の姿を目に焼き付けたい。
 
わたしがもう一度、本を読み、映画を観る時が来るのだろうか・・・
 
尚、ジョルジュ・ベルナノスの『田舎司祭の日記』はせめて原作でもと思い、図書館の読みたい本のリストに挙げているが、野呂さん自身の体験によると、「カトリックの教義をろくにわきまえもしないでベルナノスを理解するのは不可能である」と。原作の「田舎司祭の日記」とブレッソンの演出による映画版は、別のものと考えたほうがよさそうだ。
 
それにしても、若く貧しい司祭の住まいのうつくしさよ・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Ruelle à Paris, ca 1930, René-Jacques (1900 - 2004)








 

The "Waage", Braunschweig, ca 1920, Oskar Laske (1874 - 1951) - Watercolour on Paper -









 

Exotic blossom, ca 1930, Erwin Dominik Osen (1891 - 1970) - Oil on Plywood Panel -






 

 

 

 

Monday 11 January 2021

Waiting puppet show!


 L’attente au guignol du Luxembourg, Paris, 1930, Roger Schall. French (1904 - 1955)

 

 

 

Metro Monceau, 1930, Roger Schall. French, (1904 - 1955)



 

 

 

Sunday 10 January 2021

I am alone, Therefore I am...


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Nude Figure and Waterfall, N.D, Max Dupain (1911- 1992)
 
*

“Too much of water hast thou, poor Ophelia,
And therefore I forbid my tears.”
 
― William Shakespeare - Hamlet