Sunday, 12 January 2014

Trees, Fukui Ryonosuke / 福井良之助. Japanese (1923 - 1986)


Night Rain on Shinohashi Bridge, from the series Tokyo nijukkei (Twenty views of Tokyo) / 東京二十景 新大橋, Kawase Hasui / 川瀬巴水. Japanese (1883 - 1957)


Shiobara Hataori / 塩原 畑下, Kawase Hasui / 川瀬巴水. Japanese (1883 - 1957)


隠花植物

今住んでいる街の銀杏並木の葉が、路面に、道端に停められている自転車の上に、黄色いペンキを一面に撒いたように散り敷いていたのがまるで昨日のことのようです。

今はイチョウも、サクラも、ケヤキも、すっかり葉を落として、薄暗い冬空に繊細な細い枝を伸ばしています。
「裸木。木の本来の姿」といったのは、年配の、詩の好きな友人でした。

彼女自身が、葉を落とした裸木のように繊細な、これ以上ないくらいに繊細な人でした。

「隠花植物」。。。最近読んでいた本の中にふと懐かしく、珍しい言葉を見つけました。
わたしは何故かこの「日蔭を好む」植物の在りように惹かれます。

歌で言うなら、鶴田浩二さんの「傷だらけの人生」かな。

「まっぴらごめんと 大手を振って
 歩きたいけど 歩けない
 いやだ いやです お天道様よ
 日蔭育ちの 泣き所
 まぶしすぎます おいらには」

でしたっけ。。。

晴れがましいことが好きな人、そういうことに抵抗なく馴染んでしまえる人よりも、隠花植物のような人が好きです。
だからアメリカ映画よりもヨーロッパ映画が好きで、
印象派よりもバロックが好きなのかもしれません。

Saturday, 11 January 2014

暗順応

「路地さえあれば建物なんかいらない!」と言ったのは、ハンガリー生まれで、20世紀中葉、主にパリを舞台に活動した写真家ブラッサイでした。

夜のパリの姿を写した彼の作品には、Noir /ノアール、 (黒、闇...)そんな言葉が似合っていて、明るい日差しの下でのブラッサイの写真には何か物足りなさを感じてしまいます。

「路地裏」で思い出すもう一枚の写真があります。
カルティエ・ブレッソンの写真で、こちらはニューヨーク。ビルの谷間の狭い路地の片側に若いホームレスらしい男性がしゃがんでいて、もう一方の壁面の底に猫が1匹丸くなっている。おそらくともに宿無しなのかもしれません。
それでもこの、カルティエ・ブレッソンの写真には何故かそれほど心を動かされなかった。

路地裏というと、手負いの逃亡者が身を隠す暗がりという、言ってみればありきたりなイメージがわたしにもあります。
今、路地裏にはカルティエ・ブレッソンやブラッサイのカメラ=目ではなく、「監視カメラ」だけが酷薄に闇を覗いている。。。

「人は誰しも心の中に汚れや闇を抱えている。ひとの心の闇を無視して、街ばかりが、清潔に、明るくなっても、人はますます居場所を失うばかりではないだろうか。。。」と書いたのは誰だったでしょうか。。。

「暗順応」という言葉があります。暗がりの中で次第に目が闇に慣れてくる。

東京に生まれ育ちながら、わたしは今、自分をとりまくまばゆい「光」に順応できずに、人々がたやすく「明順応」している中、呆然自失して立ち尽くしています。

「路地さえあれば建物はいらない!」そんな言葉にひとり深く共鳴してしまうのです。。。