「路地さえあれば建物なんかいらない!」と言ったのは、ハンガリー生まれで、20世紀中葉、主にパリを舞台に活動した写真家ブラッサイでした。
夜のパリの姿を写した彼の作品には、Noir /ノアール、 (黒、闇...)そんな言葉が似合っていて、明るい日差しの下でのブラッサイの写真には何か物足りなさを感じてしまいます。
「路地裏」で思い出すもう一枚の写真があります。
カルティエ・ブレッソンの写真で、こちらはニューヨーク。ビルの谷間の狭い路地の片側に若いホームレスらしい男性がしゃがんでいて、もう一方の壁面の底に猫が1匹丸くなっている。おそらくともに宿無しなのかもしれません。
それでもこの、カルティエ・ブレッソンの写真には何故かそれほど心を動かされなかった。
路地裏というと、手負いの逃亡者が身を隠す暗がりという、言ってみればありきたりなイメージがわたしにもあります。
今、路地裏にはカルティエ・ブレッソンやブラッサイのカメラ=目ではなく、「監視カメラ」だけが酷薄に闇を覗いている。。。
「人は誰しも心の中に汚れや闇を抱えている。ひとの心の闇を無視して、街ばかりが、清潔に、明るくなっても、人はますます居場所を失うばかりではないだろうか。。。」と書いたのは誰だったでしょうか。。。
「暗順応」という言葉があります。暗がりの中で次第に目が闇に慣れてくる。
東京に生まれ育ちながら、わたしは今、自分をとりまくまばゆい「光」に順応できずに、人々がたやすく「明順応」している中、呆然自失して立ち尽くしています。
「路地さえあれば建物はいらない!」そんな言葉にひとり深く共鳴してしまうのです。。。
夜のパリの姿を写した彼の作品には、Noir /ノアール、 (黒、闇...)そんな言葉が似合っていて、明るい日差しの下でのブラッサイの写真には何か物足りなさを感じてしまいます。
「路地裏」で思い出すもう一枚の写真があります。
カルティエ・ブレッソンの写真で、こちらはニューヨーク。ビルの谷間の狭い路地の片側に若いホームレスらしい男性がしゃがんでいて、もう一方の壁面の底に猫が1匹丸くなっている。おそらくともに宿無しなのかもしれません。
それでもこの、カルティエ・ブレッソンの写真には何故かそれほど心を動かされなかった。
路地裏というと、手負いの逃亡者が身を隠す暗がりという、言ってみればありきたりなイメージがわたしにもあります。
今、路地裏にはカルティエ・ブレッソンやブラッサイのカメラ=目ではなく、「監視カメラ」だけが酷薄に闇を覗いている。。。
「人は誰しも心の中に汚れや闇を抱えている。ひとの心の闇を無視して、街ばかりが、清潔に、明るくなっても、人はますます居場所を失うばかりではないだろうか。。。」と書いたのは誰だったでしょうか。。。
「暗順応」という言葉があります。暗がりの中で次第に目が闇に慣れてくる。
東京に生まれ育ちながら、わたしは今、自分をとりまくまばゆい「光」に順応できずに、人々がたやすく「明順応」している中、呆然自失して立ち尽くしています。
「路地さえあれば建物はいらない!」そんな言葉にひとり深く共鳴してしまうのです。。。
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