Wednesday, 28 February 2018

The young goatherds, Dorothea Sharp. (1874 - 1955)


2 comments:

  1. Takeoさん、こんにちわ
    あちらのブログのコメント欄を閉めていらっしゃるので、少し気になって こちらに来てみました。
    お元気ですか?

    Takeoさんが選ぶ 子供のいる風景を見ると、Takeo さんの中にいる男の子が見える気がします。
    空や草や雲やそして動物たち、そう言った自然が持つのとほぼ同じ無垢さ、無邪気さ、純粋さを有していて、まだ疑う事を知らない、やさしくて穢れていない生き物
    穢れていないからこそ、脆くもあり、
    自然との境がまだ形成されていない。
    だからふと目を離したら ふっと自然に一緒に溶け込んでいってしまいそうなそんな存在

    あちらのブログで見せていただいたオオカミに(多分)抱かれて眠る子供の絵から伝わってくる彼の安心感というか、充足感と言うか、至福感と言うか、彼にとって世界とは、そう言う世界なんだろうな、と
    充分満ち足りていて、恐怖とか疑いの入る余地のない安心できる、完全な世界、、。

    でも完全って 細胞分裂のように、完全になって また壊れる、そしてまた満ちて完全になる、それを繰り返していくものではないかと思うのです。
    そうやって今度はしなやかな逞しさを身に付けていくのではないかと、、
    だから、その完全さが壊されたり侵されたりしたらやだな、と言う、、そう言う心配は不要だと、。
    疲れた時、ちょっと不安になった時抱きしめて眠りにつかさせてくれるオオカミは、例え意識していなくても、皆それぞれのそばに、平等にいてくれていると思います

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  2. こんばんは、Junkoさん。

    最近というかいつものことですが、気分がすぐれず、なかなか思うような文章が書けません。透明な文章が書けません。もっともっといい文章を書きたいと思うのは、わたしの文章に対する拭い難い劣等感のせいかもしれません。

    わたし自身がまだ透明な存在になり切れていないから、濁ったような曖昧模糊としたものしか書けないのかもしれません。

    そんな感じなので、Junkoさんの言われる完全さが循環していく(?)ということもよくわからないのです。
    わたしは頂いたコメントに適当にお返事を返すことができません。今はなかなかきちんとしたお返事を書くことがむずかしい、ひとりごとは言えても会話は難しいと思い、コメント欄を閉じています。

    誰にもクマはいるのでしょうか?
    だとしたら世の中にさびしく心細くひとりぼっちで膝を抱えている人はいないような気がするのですが。

    わざわざこちらにまでコメントをありがとうございました。


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