Thursday, 16 July 2015

過去 。。。


「わたしの生まれたパリの街がドイツ軍の支配下にある限り、わたしの人生にはなんの意味もありません。。。」
と、シモーヌ・ヴェイユは手紙に認めている。パリは、いまでもヴェイユの愛した当時のパリのすがたをとどめているだろうか。。。?

この日本にも、そう遠くない昔。偉大な東京という街があった。それはいまでも小津安二郎など、当時の映画や写真の中に見つけることができるが、21世紀現在、現実の東京にはもはや「美」とよびうるものはなにひとつない。

「過去を美化するな」とよく耳にする。200年前の人も、「昔はよかった」といっていた。と、人は訳知りがおにいう。山田太一氏の小説、「終わりに見た街」は、1943年(?)、戦時中にタイムスリップしてしまった主人公が、なにかから(誰かから)逃れ、ようやく逃げおおせたときに、疲れと、安心から、ほおっと深呼吸をするのだが、「空気がうまい」と感じる。1940年代。「どんな時代にもとりえはあるものだ」と書かれている。

顧みて、今この時代、のちの世の人が見て、いったいどんな「とりえ」があるというのだろう?大戦中にさえ、まだ、きれいな空気と、美しい手つかずの自然があった。
「過去」は、確かに、今の時代よりよかった。。。否、「美しかった」のだ。戦争があり、疫病があり、貧困があり、無知と、それによる偏見・差別ははびこり、ひとはいまよりもずっと早く死んでいた。それでも、うつくしかった。
今は街は見るかげもなく醜悪で、戦争がないだけなどとも、もはやいっていられる時代ではなく、戦争は時間の問題になっている。

「今の時代はもっともっと悪く言われていい」という辺見庸の言葉にいちもにもなく共感する。
今は人類史上最悪の時代の幕開けでしかない。けれども、人類がまだ滅びていないと仮定して。100年後と言わず、50年後の人が、この今の時代に郷愁を寄せるとは思えない。そもそも
「郷愁」などというもの(心情)自体が存在するかも疑わしい。